さて、続きです~。

二日目は会津西街道を北上。
会津田島を通過し、最初に訪れたのは塔のへつりでした。百万年という時間をかけて、浸食・風化によって作り出された奇岩群です。今までに見たことのない風景でした。自然の力って凄いですよね。

その後、大内宿へ。

景観保存地区に指定されており、江戸時代の町並みがそのまま残っています。舗装されていない道路がまた味があっていいんですよね。町並みは残してあっても道路はコンクリートってところ結構あるじゃないですか。ここ大内宿は道路も当時を偲ばせる未舗装のまま。旅人達が歩いたんだろうな、そういう想像のなんとし易いことか。土方さんも宇都宮で怪我をして会津へ下る際、ここを通ったそうです。この大内宿、かなり山の中にありまして。こんな場所を怪我をしたまま通っていたかと思うとなんかもう・・・。

大内宿を出発した後は、会津若松を越え裏磐梯へ。今日の宿泊先に向かいました。宿のすぐ近くに五色沼があったので、夕暮れ時でしたがチラリと立ち寄って、宿入り。その後、すぐに檜原湖へ夕焼けを見に行きました。

湖面の色が綺麗だったなぁ。

最終日、三日目に突入。幕末的にはメインでしたね。(笑)

宿を出て、まずは磐梯吾妻レークラインを走ります。檜原湖・小野川湖・秋元湖の三つの湖が見えるという景勝道路(でいいんですよね?)。それを通過し、次に入ったのは母成グリーンライン。
さあ、分かった人!そうです、今回私がどうしても連れてってくれと頼み込んだのは、あの母成峠古戦場跡でした。以前、会津若松の幕末関連史跡巡り一人旅というのをやったことはあるのですが、母成峠は車がないと行けないので訪問かなわず。今回、ようやく訪れることが出来ました。
中ノ沢温泉側からグリーンラインに入り、あっという間に峠に到着。古戦場跡の碑の前に、その手前にある鬱蒼とした林の中へ。ここに、東軍殉難者埋葬地があります。

昭和53年までその場所は分からないままであったと言います。こんな山奥では見つからなかったというのも分かる気がします。冬は雪深く、夏でも鬱蒼と林に覆われているのですから。当時、東軍の戦死者の遺体を埋葬することどころか、動かすことさえ禁じられていました。上野の彰義隊といい、白虎隊の少年達といい、敗者に対する措置はなんと厳しいことだろうか、といつも思います。今現在、埋葬地の隣には慰霊碑が建ち、その裏には東軍側の戦死者の名前が刻まれています。会津藩38人、二本松藩6人、唐津藩6人、そして新選組6人。ささやかに手を合わせてきました。

そして、母成峠古戦場跡の碑へ。

東軍・西軍両方の名前が一つの碑に刻まれているのが、戊辰関係の碑にしては珍しいなと思います。見晴らしの良い展望台に堂々と建つ碑は、ここで戦いが確かにあったことを、そしてそれを忘れまいとしてくれている人たちがいることを教えてくれました。

さて、その後は会津若松市内へ。どこか行きたいところはないのかと言うので、白虎隊記念館へ連れて行ってもらいました。こちらは二回目。ついこの間、京都の霊山歴史館へ行きましたが、あちらが倒幕側の幕末なら、ここは佐幕側の幕末。もちろん、どちらにも幕末全般の史料があるのですが、私の中での印象はそんな感じ。前回と同じように大鳥圭介の書に貼り付いたのは言うまでもありません。(笑)

その後お昼ご飯を食べて、お土産を購入し、帰路につきました。今年の家族旅行も本当に楽しかったです。毎年ありがとう。

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