はい、貞源寺へ行ってまいりました。
中野区にある貞源寺には、遊撃隊・伊庭八郎の墓碑があります。
西武新宿線沼袋駅で下車。沼袋には普通列車しか止まりませんのでご注意を。貞源寺へ向かうには北口から出ます。改札を出て案内板を確認してから歩き出します。西武線沿線には「地元の商店街」を持った駅がいくつもありますが、ここ沼袋もそうでした。そんな商店街を抜けると、正面に見えてくるのがなかなかに立派な山門を持つ禅定寺。禅定寺の前を右へ曲ると住宅街に入ります。地図と照らし合わせながらてくてく歩いて(事前に調べた方が無難です。地図見ながらでないと辿り着けないと思いますので)、沼袋駅から10分程で到着。
(以下墓石の写真がありますので、苦手な方はご注意下さい)
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部屋の中が地震でもあったかのような惨状です。ご飯食べるスペースがなくて、PCの隣に無理矢理空けて食器を置いています。(=卒論用資料がごっちゃりっていう話)
気分転換に、久々に某TSU○YAに行って物色してみました。CDはLINKIN PARKの1stと2nd、Evanescenceの新譜を借りてみました。組み合わせが謎。LINKINは3rdの方が好みでした。1stから聞いていた人には、3rdは多分違和感だったんだろうなと思いますが。
で、何が目的だったかというとこれです↓

長州ファイブ
今更かよっていう声が聞こえてきそうですが・・・私は基本的に流行後追い方なので(どうしようもない)。今年の幕末時代劇@世田谷が英国公使館焼き討ちだったのはこの映画に依る部分もあるんでしょうか・・・? お前そこ泣くポイントじゃなくね?って所で泣いてみたりしましたが、その辺りは放っておきます。これはある程度背景知識がないとキツイでしょうねぇ・・・言い換えれば、背景知識があればあるほど面白いというか。
海外に出ることの覚悟。それは、今の私たちには考えもつかないものでしょうけど。でも、外で日本を意識する感覚は、私も持っていました。彼らには到底及ばないでしょうけど、「私は日本人だ」という思いは、実際問題帰ってきてからの方が強いです。グローバリズムが叫ばれている中、逆行する考え方かもしれませんけど、それが本音。
個人的な感情としては、ロンドンの風景が非常に懐かしかったです。セント・ポール(ロンドン市内で一番美しい建造物だと個人的には思っている)の荘厳な姿とか、国会議事堂とか、石畳の道とか。雰囲気は東京に似ていても、目に飛び込む文化の違いに最初はやっぱり感動しましたもの。
そして思いました、UCLにある顕彰碑を見てくるんだったと。(・・・感想でもなんでもないな、これ)

【上田城趾にて】
週末にかけて、実家に戻っていました。まだ雪が降るほどではありませんが、やはり長野は身が引き締まるような寒さでした。今回の帰省の最大目的は松茸料理を食すことだったのですが(笑)、それに加えて相変わらずフラフラと遊んでしまったわけで。というわけで、ダラダラと覚え書き。
金曜は、上田周辺で戦国関連史跡巡り。そこら中に「風林火山」の文字がはためいています。(何度も言っていますが、私の出身地は今年の大河の舞台なわけで) 両親がいつの間にか山城巡りに目覚めていたので(・・・)、私も米山城に登ってきました。二人にとっては物足りない感じだったようですが、最近歩いてなかった私にとっては充分でした。(オイコラ)
下山して、次は長谷寺へ。上田といえば真田ですが、ここ長谷寺には真田幸隆夫妻と昌幸の墓所があります。寺紋もかの有名な六文銭。参道にある石造りのアーチにもきちんと六文銭が刻まれていました。真田公墓所は境内奥。苔に覆われた静かな場所で、とても穏やかな空気でした。
お次は真田氏本城跡へ。こっちは車で上まで行けます(笑)。遠くに連なる山々の霞み具合がまるで絵のように綺麗でした。麓にある真田氏歴史館にも立ち寄ってみました。まだまだ新しいのでしょうね、展示の仕方も見やすかったです。
最後に向かうは上田城趾。敷地内にある上田市立博物館で、企画展「秀吉と真田」(既に終了しています)を見るためです。中にはいると結構な人出。メディアの効果って凄いんだな・・・(しみじみ) 書簡や武具、果ては屏風まで。書簡の充実度が半端じゃなかった。私は戦国はさっぱりなのですが、それでも見知った名前ばかり。量もかなりありました。戦国時代の書簡ってこんなに残ってるもんなの?そしてその大半が真田宝物館蔵になっていたことに更に驚きました。ただの地方の寂しい博物館じゃなかったんだねっ・・・!(失礼極まりない)
入場料がもったいないので常設展も見てきました。目に飛び込んだ「赤報隊」の文字に思わず奇声を発したのは私です・・・あはー、まさか上田で!下諏訪ならともかく上田で!(しつこい) 信濃における幕末を追った時、おそらく第一に名前が出てくるのが赤報隊だと思います(次点で和田嶺合戦かなあ)。上田出身の赤報隊士、丸山徳五郎に関する展示でした。あーもう、吃驚した・・・
上田城は紅葉がピーク(紅葉祭開催中でしたよ)で、とても綺麗でした。東京にいるとどうしても季節感に乏しくなってしまうので、色づいた木々の共演には思わず感動しました。今年は紅葉が楽しめて良かった!
上田城を後にして、夕食(=松茸料理)に向かいました。途中、時間つぶしに前山寺に寄ります。山門の向こうに黄色く染まったイチョウがまるで滝のように見える風景があったのですが、それにまたもや感動。紅葉ってこんなに綺麗だったんだなと、改めて思いました。
松茸料理は本当に美味しかったです。中でも焼き松茸は絶品。ただ炙るだけなのになんであんなに美味しいんだろうね・・・連れていってくれた両親に感謝です。
翌日土曜日は松代へ。久しぶりに象山記念館に行きたかったの(小声)。
その前に、更埴にある長野県立歴史館へ。現在、企画展「武田・上杉・信濃武士」をやっています。とにかく、戦国好きの方には今の長野県は非常に楽しいと思います。そこら中で企画展やってますし、史跡案内板も充実しています。迷いません。長野市も上田市も千曲市も、どこの自治体も超頑張ってます!(笑) で、この企画展の前期展示が今週末までなので、父親と二人で見に行きました。(というか私は完全にお供ですが・・・) 信濃武士にスポットを当てているので、どちらかというと上杉寄りの展示でした。上杉が米沢へ以封されたことにより、信濃からも米沢に移った武士が非常にたくさんいたわけです。ここも資料が半端じゃなかったわ・・・後期展示では国宝も登場するらしく、更に期待大。
常設展も一応見てきましたが、ここ数年大きな変化はないと思います。ただあの・・赤報隊関連の展示(っていってもレプリカの旗と大砲が二点あるだけなので資料性はほぼゼロですけど)って昔からあったのかなぁ・・・小さい頃だったので私が見てなかっただけなのかな。
お昼は歴史館のカフェでほうとうと干飯を頂きました。戦国ブームに乗っかってみました。干飯とかネタだよね、もう。(笑) 売店には戦国関係のグッズが溢れる中、研究紀要に西南戦争関連記事を見つけだし、更にその中に山川と山田の名前を見つけて喜んでみたりしました。(相変わらず)
さて、ようやく松代へ・・・と思いましたが、途中妻女山へ寄り道。ここは初めてでした。名前はイヤというほど耳慣れしていますが、実際に足を踏み入れたことはなかったのです。頂上の展望台に「龍」と「毘」の文字がはためいているのが下からでも見えます。ここで位置関係を把握しながら眼下を見下ろすと、思いの外リアルでした。視界が開けているのを実感。今でも高い建物が少なく、地形も川の流れが若干変わっている程度でしょうから、当時に思いを馳せやすいです。案外長野盆地は広い。
ようやく松代到着、まずは真田宝物館へ。
私はこんなに多くの人がいるのを見たことがありませんでした。(真顔)
メディアの効果って凄いんだね・・・(二回目)
前日上田で真田宝物館蔵の資料をたくさん見たのでほぼ出張状態かと思っていたのですが、見事に予想は裏切られ、ショーケースの中には貴重な資料たちが鎮座しておられました。どれだけ持ってるんだろう、ここ。(余程衝撃だったようです、真月さん) 皆様(年輩の方が多かったですね、やっぱり)じっくりと鑑賞なさっていました。幕末関連で言えば、私は幸貫自筆の絵が印象深かったです。可愛い絵でした。(笑)
歩いて文武学校にも行きました。えー、文武学校にも人が溢れてるんだけど!なんで?(若干混乱している) そんな中、解説放送の中に武田斐三郎の名前が聞こえて挙動不審になりました。文武学校に関わってるなんて知らなかったんですけど!これは調べなくては。(・・・)
そんなこんなでようやく象山記念館へ。
・・・誰もいねぇ!(苦笑)先程までの賑わいが嘘のように館内はひっそりとしていました。真田ついでに象山も、とはならないようですね、やっぱり。久々に行きましたが、ここも展示物が変わらないなぁ。象山の思想家としての姿だけでなく、発明家としての姿にもスポットを当てているのが特徴かと。忘れがちなのですが、この人電信とか写真とかやってますもんね。そして改めて思いました、象山先生は書がとてもお上手だと。顔真卿の書風を真似ていたとか。また書簡の字を見ていると、神経質な人だったに違いないと思わせられます。(笑)
最後に旧横田家住宅を見て、象山神社にお参りをして、松代巡りは終了しました。久々の松代もとても気持ちが良かったです。
えー、歴史ネタがごっちゃり(時代も場所も)した旅行記になりましたね。(汗)
近頃、めっきり長州に振り回されている感が自分でもしておりますが・・・大丈夫だからね、うん!(何が)

世田谷の幕末維新まつりに行ってきました。
13時過ぎに松陰神社前駅に到着、とりあえず松陰神社へ。境内にはたくさんの露店が出ていて、本当にお祭りらしいお祭りでした。ちょうど大人御輿が神社から出るところだったのでしばしそれを鑑賞した後、お参りをします。今日はお参りをするのにも並ぶ程。御朱印を頂いた後に、松陰先生のお墓へ行き手を合わせてきました。
奇兵隊パレードも鑑賞。さすが主役三人は堂々としていらっしゃいましたね(あまりに距離が近すぎて、こっぱずかしくて写真は撮れなかったけど・・・)。14:30からの奇兵隊パフォーマンスも見ましたが、つっこみどころが満載で笑いを堪えきれなかったため、ここで土下座して謝っておきます。大変申し訳ありませんでした・・・
最後に幕末野外劇を見てきました。毎年テーマは変わるみたいですが、今年はイギリス公使館焼き討ち。このイベントは良いなあ。松下村塾の復元建物を上手く使った演出が素敵でした。
そんな今日の戦利品はこちら(また本買ってるというツッコミは無しで)。幕末維新交流広場と名の付いた一角で、いろいろ本を売ってましてね・・・。

「松下村塾開塾150年記念 吉田松陰と塾生たち」
現在萩博物館で行われている特別展「長州男児の肝っ玉」の展示解説図録を含むビジュアルブック。見つけた瞬間『これって今萩博でやってる特別展のですよね?』と思い切り過ぎて口走った私を許してください・・・今回限定で40冊だけ持ってきてくださったそうなのですが、実は何を隠そう私はこの図録が本当に欲しかったのです!(萩博のサイト見るたびに『通販ないのかな』って思っていたぐらい) 私が見た時点でもうほとんど残りがなかったので幸運でした。
「小杉雅之進が描いた箱館戦争」
まさかここで「箱館」の文字を見るとは思っていなかったので、思わず手にとってパラパラと捲ってみました。ヤバイ、小杉さんの人物画が可愛すぎる・・・(ツボ) 写真も豊富だったし、箱館戦争に関する本が一冊ぐらい手元に増えても良いと思って購入。家に帰って見たら、監修者の方(小杉雅之進の末裔の方)のサインが入ってることに気づいたんですけど・・・サイン本なんて初めてだよ!
というわけで、なんだかんだいって楽しんでしまった一日でした(笑)。
萩旅行記、アップしました!今回写真が真四角なのは、そういうカメラ(父親のを拝借)を使っていたからであります。でも、こう真四角だと旅行記にした時に納まりがいい気がします(でも横長を真四角に加工する気力はない)。暑さのせいだったのか、所々で重要なものを撮り忘れている・・・(大天狗のお面とか、久坂玄瑞誕生地の全景とか・・・)
ちなみに、萩博物館の欄で私がさんざん騒いでいる「東行自筆遺稿」ですが、実は影印が「高杉晋作史料」(マツノ書店)に載っていることが最近判明しました。大学図書館の研究書庫で卒論の合間に開いてみたら、「あ、あれ、あるの?」みたいな。(・・・) というわけで、今の時点では手元に複写があります。(笑)
日本全国を一人旅してしまったためか、山口とか岩手とかでさえ遠い気が全くしなくなってきました。思い立ったらすぐにでも行けそうな気がする・・・(抑えてー!!)
大学でこの週末125周年記念(創設者は立憲改進党を作った佐賀藩の人です)の催し物をやっていたと思いますが、全く無関係に過ごしてしまった真月です。ちょっとぐらい覗いてくるべきだったか・・・(今更遅い) 来週は学生生活最初で最後の神宮球場に行く予定だからいいか・・・(それって替わりになるのか)サークルの友達からお誘いメールが来たのですが、既に学部友と約束済み。みんな最後だと思うと、行けるものには行っておけ的な感情になるようです。(かく言う私も例外ではない)
この間学校のデータベースを何の気無しに捜索していたら、創設者が明治政府の人間であったためなのか、明治政府主要人物の書簡やら所謂維新志士らの遺墨(こちらは田中光顕のおかげのようです)やらが大学に大量に保存されていることに今更気づきました。びびったのは松平太郎で検索をかけたら書簡が一通引っかかったことです。え、マジでか(驚)。(ちなみに差出人は「銀行支配人ハンリート」です。借金の件・・・)榎本さんや大鳥さんはまだ理解できる(そして伊藤博文や井上馨なんか当たり前だと思う)のですが、まさか松平太郎でヒットがあるとは・・・好奇心をくすぐられる検索結果でした。(何やってんだ、お前)
卒論関係でひーひー言ってますが、気分転換がてらちゃっかり川崎まで行って来ました、JACKJACKフリーライブ。二回目を二階からひっそりと(笑)眺めてきましたよ。30分という短い時間で持ち歌4曲全て披露。やっぱり「七色」は是非CD化して欲しい。みっちゃんも好きだって言ってましたが、私もあの曲は大好きです。腐り気味だったのでパワーを貰ってきました。
さて、続き続き!>言うまでもなく卒論
遅くなりましたが、「その時歴史が動いた」を見たのでちょっとだけ。冷静に見られるかなと思ったのですが、番組ラストの松平容保公の歌で突然涙がダーッと。
そんな自分に驚きつつ、やはり藩としていちばん興味があるのは会津だと再認識。幕末で、最も苛酷な運命を辿った藩の一つであると思うのです。それにしても、容保公は会津の人々を本当に心から大切にしていたのだと思わせるエピソードが幾つもある人ですね。だからこそ、人々もまた容保公を敬愛したのでしょう。飯盛山の白虎隊士を悼んだ句碑が頭によぎりました。
そんな番組のサブタイトルは「義に死すとも、不義に生きず」でしたね。「義」という言葉を聞くと、一つどうしても忘れられない歌があります。
【義のために つくせしことも 水の泡 打ちよす波に 消えて流るゝ】
これを詠んだのは新選組隊士、横倉甚五郎。弁天台場降伏時に詠まれたもので、横倉の辞世の句です。
私がこの歌に出会ったのは、二年前に会津一人旅をした時。会津武家屋敷内の小さな資料館で初めてこの和歌に触れた時、ガツンと頭を殴られる衝撃を感じました。
横倉は、箱館においての所謂新選組古参隊士の一人です。入隊は元治元年、伊東一派と同時期の入隊。入隊直後は武田観柳祭率いる六番隊に所属、油小路の変で奮戦。鳥羽伏見、甲州勝沼、会津、そして箱館へと転戦します。弁天台場で終戦を迎え同所での謹慎を言い渡されたものの、その後坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられて東京の糾問所へ送られました。その取り調べの最中に獄死。享年37才。箱館戦争終了後、一年あまり後のことでした。
「義」とは何だったのだろう。横倉の詠み込んだ「義」を正確に理解することは到底無理な話です。私たちは彼自身ではないのだから。
忠義・正義・道義・恩義。義という言葉で表現されるものは、数え切れないほどあります。
ただ思うのは、横倉にとって「義」は決して譲ることの出来なかったものなのだろうということです。弁天台場の降伏は、新選組隊士として戦い抜いた彼にとって、全ての終わりにも等しい出来事だったかもしれません。その瞬間に詠む辞世に込められた思いの大きさを想像すると、思わず目頭が熱くなるのです。
あの時代に生きた人は、立場や主張に関わらず、皆それぞれ譲ることのできない「義」を持っていたのだろう、そんな風に思うのです。
だいぶずれた所で本日は終了。